26 giugno 2009

AIDA  オペラ アイーダ

今日はフィレンツェで行われたオペラAIDAを観に行ってきた。
夜9時15分から、休憩を入れて2時間の公演。
(6月、7月合わせて4回の公演です)



場所は、フィレンツェでもみんなが綺麗だというボボリ公園。
ここはピッティ宮殿(3Fは美術館)と繋がっている公園。

会場は思ったよりも小さめで、森に囲まれている感じ♥



舞台のすぐ下はオーケストラで、生の演奏と歌声、照明、迫力のある舞台バレエもあり、演技もあり、ファイアー!!もあり。
そして本場イタリアの歓声「ブラボー!!」までもが一体となって、久々に鳥肌がたってしまった。



舞台を観た後の帰りの公園の中。素敵でしょう?





今日改めて思ったけど、イタリア人はすごい。
みんな自由に生きてるからかな? やっぱり歴史のあるローマ帝国だったからかな?
オペラを含めて、音楽(楽譜にある音楽用語はイタリア語です)、料理、ファッション、絵画、建築、サッカー、アクセサリーなどの金細工、、
どれをとってもイタリアは優れているよね?!


普段見るイタリア人はみんな仕事も適当〜にやりたいようにやってるって感じしかしないんだけどね。
でも、やっぱりみんな仕事っていうより、人生をバランス良く楽しんでる感じがする。
感性のままに生きてる感じっていうのかな?



男性は男性らしく、ストレートにやらしいし、女性も私綺麗でしょっ?って顔に書いてある感じで歩いてるし。
言いたいこともはっきり言う。
だけど、とっても人情がある。


私は好きだな。こういう感じ。
ストレスを一切感じない。
この街というか、この国は自分にはとっても合っている気がする。









-AIDA-

■作者 -ジュゼッペ・ベルディ(Giuseppe Verdi) 1813-1901

北イタリアに生まれる。教会のオルガニストとして日銭を稼ぎつつ中学の下宿代に宛て、のちミラノに留学。しかし地元では天才と持て囃されていながら音楽院の入学試験に不合格となるなど様々な挫折を経験する。また、妻と二人の子供を相次いで失うなどの不運にも見舞われている。

オペラ「アイーダ」はヴェルディがオペラ作家としての地位を確立し、既に多くの名作を生み出している50台後半の時の作品。
当初、スエズ運河の開通を記念した作品を作って欲しいと依頼されたが、何かのセレモニーやイヘントに合わせて作曲することを嫌うヴェルディは承諾しなかった。
その後、スエズ完成を記念してエジプト・カイロに建設されたオペラ劇場のこけらおとしのために再度依頼がされたが、その際、ヴェルディに示されたのが学者・マリエットによる「エジプトを舞台にした物語」の台本だった。
この台本が気に入ったことと、破格の契約金が示されたことで、ヴェルディは重い腰を上げる。初演は1871年1月と決められていた。

しかし、ヴェルディが「アイーダ」を作曲していたちょうどその頃、プロイセン(ドイツ)とフランスの戦争が始まってしまう。フランス側が敗北し、ナポレオン3世が捕虜となってパリはプロイセン軍に包囲される。
そのパリで、「アイーダ」のための大道具の製作を監督していたヴェルディは、戦争が終るまでパリから出られなかった。そんなわけで、作品自体は完成していたが、初演は遅れて1872年に持ち越されることとなった。


■ストーリー

時は、古代エジプトのいつかの時代。エジプトは、南の隣国エチオピアとの長い戦争関係にある。
決着をつけるべくファラオが送り出したのは若き将軍ラダメス。だが彼は、先の戦いで捕虜となり、身分を隠してエジプトの王女アムネリスに仕えるエチオピア王の娘・アイーダーと、恋仲にある。ラダメスに思いを寄せる王女アムネリスは、二人の仲を怪しみつつ確信がもてないでいる。

ラダメスはエチオピアに勝利し、勝利者としてアムネリスの婿と定められる。だが、ラダメスの思いはいまだアイーダにある。アイーダは、ラダメスとともに故郷へ逃げ帰ろうとするが、その願いは叶わない。アイーダにエジプト軍の配置を洩らしてしまい、それがアイーダの父であるエチオピア王に知られてしまったことで裏切り者として裁判にかけられたラダメスは、きながらにして墓に閉じ込められる死刑を宣告される。

アイーダは、恋人とともに死のうと戻ってきており、ラダメスとともに墓に入る。アムルリスは二人の死を見届け、冥福を祈りながら悲しみのうちに去るのであった。